今月のイチオシ

日本各地の公立美術館コレクションをあげました。 ※作品の画像は各図録より引用しており、どの図録も個性的で魅力的です。ぜひ手に取ってみてください。

出典:「静岡県立美術館コレクション選」

北川民次

「タスコの祭」1937年

北川民次(1894−1989)は、静岡県金谷町五和に生まれる。
早稲田大学を中退し、渡米。
メキシコのサン・カルロス美術学校を卒業。メキシコの美術や絵画運動に触発された、創造的で自由な精神を油彩画、版画制作に示し、二科展、日本国際美術展で注目を集めた。











静岡県立美術館

出典:「静岡県立美術館コレクション選」

秋野 不矩

「廻廊」1984年

秋野 不矩(1908-2001)は、静岡県天竜市生まれ。
千葉県大網市の石井林響、京都の西山翠嶂のもとで日本画を学ぶ。
1948年に創造美術を結成、京都市立美術大学の助教授に就任した。第一回上村松園賞を受賞。インドのビスババーラティ大学の客員教授に招かれ、インドの風土や風俗に関した作品を数多く制作する。










静岡県立美術館

出典:「静岡県立美術館コレクション選」

近藤 浩一路

「東山粟田口」1925年

近藤浩一路(1884−1962)は、山梨県南巨摩郡に生まれる。
東京美術学校西洋画科を卒業。同級生に藤田嗣治がいた。1918年に水墨画をはじめ、1921年日本美術院の同人になる。戦後は墨心会を中川一政らと結成し、日展に出展。近代的な水墨風景画の世界を創造した。














静岡県立美術館

出典:「名古屋市美術館コレクション選」

荻須高徳

「洗濯場」

荻須高徳(1901−1986)は、愛知県稲沢市生まれ。
生涯の半世紀をパリで暮らす。
パリの街角を描きつづけ、彼が敬愛した佐伯祐三、ユトリロとの画風とは多少異なり、あくまでも描く街そのものを描き出そうとする荻須は、街に寄り添い、深い敬愛を込めた画風がパリの街のその上品さを伝えてくれる。  














名古屋市美術館

出典:「名古屋市美術館コレクション選」

三岸節子

「雷がくる」1979年

三岸節子(1905ー1999)は、愛知県尾西市生まれ。
1968年に南仏カーニュ、1974年にブルゴーニュのヴェロンに移り住む。そこでの風景画、白い壁と赤い屋根の家々が立ち並ぶ南仏の丘を描いた作品。













名古屋市美術館

出典:「名古屋市美術館コレクション選」

中村正義

「男女」1963年

中村正義(1924−1977)は、愛知県豊橋市生まれ。
1961年日展を脱退した後1963年に個展「男と女」開催。
従来の日本画の枠を超えた、アクリルで原色を駆使した作品。強く直接の叫びが伝わり強烈な印象を受ける。














名古屋市美術館

出典:「コレクションへの誘い 群馬県立近代美術館・群馬県立舘林美術館所蔵作品選」

福沢一郎

「敗戦群像」1948年

福沢一郎(1898−1992)は、富岡市生まれ。
東京帝国大学入学。朝倉文夫に師事して彫刻を学ぶ。1924年から渡欧してシュルレアリスムの影響を受け、絵画に転向。美術文化協会を創立。91年に文化勲章受賞。












群馬県立近代美術館

出典:「コレクションへの誘い 群馬県立近代美術館・群馬県立舘林美術館所蔵作品選」

高橋常雄

「故山春雪」1987年

高橋常雄(1927−1988)は、前橋市生まれ。
武蔵野美術学校卒業。日本画院の望月春江に師事し、74年ネパールを訪れヒンズー教の信仰に生きる人々を
テーマに連作を発表。その後日本の景色の風景画をテーマに、当作品のように雪景色こそ彼の風景表現の到達点になった。











群馬県立近代美術館

出典:「コレクションへの誘い 群馬県立近代美術館・群馬県立舘林美術館所蔵作品選」

大澤雅休

「黒岳黒谿」1953年

大澤雅休(1890-1953)は、高崎市生まれ。
43歳で、比田井天来の教えを受け、大日本書道院第一回展で最高賞受賞。
書道芸術院の創立にも参加し、指導力を発揮した。










群馬県立近代美術館

出典:「広島県立美術館コレクション選」

南 薫造

「坐せる女」1908年

南 薫造(1883−1950)は、広島県豊田郡安浦町内海生まれ。
1902年に東京美術学校西洋画科に入学。
渡英、サウス・ウェスタン・ポリテクニックに入学。ボロー・ジョンソンに師事。
1910年帰国後、各展に出品を続ける一方、東京美術学校教授をつとめる。









広島県立美術館

出典:「広島県立美術館コレクション選」

児玉 希望

「室内」 1952年

児玉希望(1898-1971)は、広島県高宮町生まれ。
川合玉堂に師事し、1921年帝展に初入選、28年特選。1953年、日本芸術院賞受賞。
1960年日展理事に就任。この「室内」は第8回日本芸術院賞受賞の作品。








広島県立美術館

出典:「岡山県立美術館収蔵作品選2005」

国吉 康雄

「カーテンを引く子供」1923年

国吉康雄(1889−1953)は、岡山に生まれる。
1906年、渡米。ロサンゼルスの美術学校で学び、ニューヨークに移り、ケネス・ヘイズ・ミラーの教室に学ぶ。
その後、渡欧。より写実的な作風に変わる。戦後はホイットニー美術館で回顧展を開く。








岡山県立美術館

出典:「岡山県立美術館収蔵作品選2005」

雪舟 等揚

「山水図」15世紀

雪舟(1420−1506)は、岡山県総社市赤浜生まれ。
禅僧となるべく、相国寺に入り画技を天章周文に学ぶ。
1467年入明し、宮廷画家李在に画法を学ぶ。
1484年に帰国。大分から山口へ戻り活躍拠点とする。







岡山県立美術館

出典:「岡山県立美術館収蔵作品選2005」

浦上 玉堂

「山澗読易図」19世紀

浦上 玉堂(1745−1820)は、備前岡山藩の藩士の子として生まれる。
50歳で脱藩。春琴、秋琴の二子を連れて岡山を出奔。
自由人として、東北から九州まで各地を遊歴した。








岡山県立美術館

出典:「宮崎県立美術館所蔵作品100選」

瑛九

「Visitors to a Ballet Performance」1950年

瑛九(1911−1960)は、宮崎市生まれ。
本名は杉田秀夫。1925年に日本美術学校に入学。1936年フォトデザイン集「眠りの理由」で瑛九の名で発表。
翌年、自由美術家協会の設立に参加。1946年、自由と独立の精神で制作する。デモクラート美術家協会を設立。
その後、油彩画を点描の抽象画へと移行する。






宮崎県立美術館

出典:「鹿児島県立美術館図録」

海老原喜之助

「自画像」1922年

海老原喜之助(1904−1970)は、鹿児島市住吉町に生まれる。
1923年に渡仏し、藤田嗣治の教えを受ける。27年サロン・ド・レスカリエに出品。
35年独立美術協会会員、59年日本国際美術展で最優秀賞受賞。
64年芸術選奨文部大臣賞受賞、67年渡仏。




鹿児島県立美術館

出典:「鹿児島県立美術館図録」

東郷青児

「ギターを持つ女」1929年

東郷青児は、鹿児島市生まれ。青山学院中等部に進学。
1916年に「パラソルさせる女」が二科賞受賞。21年に渡仏。28年帰国し、二科展に滞欧作品23点を特別展示。
60年日本芸術院会員、61年二科会会長。





鹿児島県立美術館

出典:「鹿児島県立美術館図録」

藤島武二

「鉸剪眉」1927年

藤島武二(1867−1943)は、鹿児島市生まれ。
平山東岳に学び、1884年に上京。黒田清輝の知遇を得て、東京美術学校の指導者になる。
1905年に渡仏。フランスとイタリアで学ぶ。1937年に第一回文化勲章を受賞。






鹿児島県立美術館

出典:「宮崎県立美術館所蔵作品100選」

瑛九

「月」1957年

瑛九(1911−1960)は、宮崎市生まれ。
本名は杉田秀夫。1925年に日本美術学校に入学。1936年フォトデザイン集「眠りの理由」で瑛九の名で発表。
翌年、自由美術家協会の設立に参加。1946年、自由と独立の精神で制作する。デモクラート美術家協会を設立。
その後、油彩画を点描の抽象画へと移行する。






宮崎県立美術館

出典:「宮崎県立美術館所蔵作品100選」

瑛九

「寵目の青」1957年

瑛九(1911−1960)は、宮崎市生まれ。
本名は杉田秀夫。1925年に日本美術学校に入学。1936年フォトデザイン集「眠りの理由」で瑛九の名で発表。
翌年、自由美術家協会の設立に参加。1946年、自由と独立の精神で制作する。デモクラート美術家協会を設立。
その後、油彩画を点描の抽象画へと移行する。






宮崎県立美術館

出典:「熊本県立美術館新ガイドブック」

大塚耕二

「トリリート」1937年

大塚耕二(1914-1945)は、熊本県菊池出身です。
昭和9年に帝国美術学校に進学、友人たちと結成したグループ「表現」の展覧会において自作発表。高い評価を得る。活躍が期待された大塚だが、卒業後まもなく徴兵され、フィリピンで戦死。






熊本県立美術館

出典:「宮崎県立美術館所蔵作品100選」

瑛九

「田園 B」1959年

瑛九(1911−1960)は、宮崎市生まれ。
本名は杉田秀夫。1925年に日本美術学校に入学。1936年フォトデザイン集「眠りの理由」で瑛九の名で発表。
翌年、自由美術家協会の設立に参加。1946年、自由と独立の精神で制作する。デモクラート美術家協会を設立。
その後、油彩画を点描の抽象画へと移行する。






宮崎県立美術館

出典:「鹿児島県立美術館図録」

藤島武二

「港の朝陽」1934年

藤島武二(1867−1943)は、鹿児島市生まれ。
平山東岳に学び、1884年に上京。黒田清輝の知遇を得て、東京美術学校の指導者になる。
1905年に渡仏。フランスとイタリアで学ぶ。1937年に第一回文化勲章を受賞。






鹿児島県立美術館

出典:「松本市美術館コレクション選&所蔵品目録2012」

滝沢具幸

「連山」2002年

滝沢具幸は、長野県飯田市生まれ。
東京藝術大学美術学部日本画科に入学、吉岡堅二らに学ぶ。
抽象画に挑みながら新たな日本画のスタイルを打ち出している。



松本市美術館

出典:図録「信州ゆかりの天才アーティスト―長野県信濃美術館名品展―」

菱田春草

「羅浮仙」1901年

菱田春草は、長野県飯田市の出身。
岡倉天心、橋本雅邦の指導を受け、横山大観、下村観山、西郷孤月とともに美術院の四天王と呼ばれた。

長野県立美術館

出典:「松本市美術館コレクション選&所蔵品目録2012」

臼井文平

「婦人像」1928年

臼井文平は、長野県安曇野市生まれ。
家具職人としてニューヨークに渡り、アメリカに永住してアメリカの画壇で活躍。
国吉康雄とも交流し、画家たちの額縁も制作したという。




松本市美術館

出典:「熊本県立美術館新ガイドブック」

浜田知明

「ボタン(B)」1988年

浜田知明(1917−2018)は、熊本県御船町高木生まれ。
1934年に東京美術学校に入学。藤島武二に油彩画を学ぶ。
過酷な軍隊生活後、49年自由美術家協会に加わり、サンパウロ国際美術展などに出品するなど国際的な活躍をおこなった。






熊本県立美術館

出典:「北海道立近代美術館図録」

片岡球子

「面構 浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」1988年

片岡球子(1905−2008)は、札幌市生まれ。
女子美術専門学校(現・女子美術学校)卒業。吉村忠夫に師事。
1989年に文化勲章を受賞。
1966年より武将、浮世絵師、歌舞伎作者を描く「面構シリーズ」を始めた。
この作品は歌川国芳の大判錦絵三枚続の絵師国芳と現代の浮世絵研究者鈴木重三が時代を超えて同居している。






北海道立近代美術館

出典:「熊本県立美術館新ガイドブック」

坂本善三

「黒の構成」1976年

坂本善三(1911-1987)は、熊本県阿蘇郡小国町出身です。
敗戦の翌年から画業を再開、昭和22年に独立賞を受賞。
1957年に渡仏。自らは心象画と呼び、「日本的な抽象」とも言われる独特の抽象画を生み出した。


熊本県立美術館

出典:「鹿児島県立美術館図録」

有馬さとえ

「むすめ」1939年

有馬さとえ(1893−1978)は、鹿児島市生まれ。
三宅克己の水彩画から、洋画家になる事を決意。1911年に上京し、岡田三郎助に師事。
14年第8回文展に入選、26年第7回帝展で女性初の特選受賞。





鹿児島県立美術館

出典:「北海道立近代美術館図録」

田中忠雄

「空の鳥を見よ」1959年

田中忠雄(1903−1995)は、札幌生まれ。
父は現・札幌北光教会の牧師。行動美術協会、全道美術協会の創立会員として活躍した。
キリスト教的主題を同時代のテーマとして蘇らせようと試みた作品を残した。

北海道立近代美術館

出典:「北海道立近代美術館図録」

菊川多賀

「回想賦」1984年

菊川多賀(1910−1991)は、札幌市生まれ。
闘病生活を繰り返しながら院展に出品を重ねた。本作は第39回院展出品作品。
中央が6歳の頃の作者、5歳年上の姉と母親との思い出を描いた。
数年後、姉は15歳で、母は46歳で他界している。






北海道立近代美術館

出典:「北海道立近代美術館図録」

難波田龍起

「秋の詩」1961年

難波田龍起(1905−1997)は、旭川生まれ。
1歳になる前に東京に移住。高村光太郎との出会いで芸術に開眼し、戦後は抽象画に取り組む。
1996年に文化功労者受賞。60年代の作者はキャンパスをイーゼルに立ててドリッピングの技法による制作を展開した。 

北海道立近代美術館

出典:長野県立美術館図録

東山魁夷

「緑響く」1982年

東山魁夷は、横浜生まれ。
東京美術学校在学中に初めて訪れた信州の厳しい自然に魅せられ、独自の自然観を叙情性豊かに表現した多くの風景作品を残した。「緑響く」は八ヶ岳の御射鹿池がモチーフ。



長野県立美術館

出典:「松本市美術館コレクション選&所蔵品目録2012」

宮坂勝

「スケート」1946年

宮坂勝は、長野県松本市生まれ。
東京美術学校油絵科に入学、同級生には里見勝蔵らがいる。
1923年渡仏、帰国後は松本中学で教鞭をとり、三元社(のちの松本洋画研究会)を主宰し、長野県の洋画界を牽引した。





松本市美術館

出典:岐阜県美術館名作50選 2018年度版

熊谷守一

「ヤキバノカエリ」1956年

熊谷守一は、岐阜県中津川市生まれ、岐阜市で育つ。
独特の画風は60歳を迎えた頃からで、長く本質を見極めることに全身を傾けていたといわれる。
よってその画風は単純簡素でありながら、本質のみが持ちうる豊かさに満ちている。


岐阜県美術館

出典:岐阜県美術館名作50選 2018年度版

熊谷守一

「朝のはぢまり」1969年

熊谷守一は晩年、同心円状の赤い輪郭線で太陽の光を表す油彩画を複数制作している。
日の光に自信の生死観を表したものといわれている。


岐阜県美術館

出典:岐阜県美術館名作50選 2005年度版

村井正誠

「居ならぶ人々」1969年

村井正誠は、岐阜県大垣市の生まれ。
ヨーロッパに滞在した時代にマチス、モンドリアンなど西洋画家の歴史や伝統に触れ、幾何学的な抽象作品を発表し続けた。



岐阜県美術館

出典:岐阜県美術館名作50選 2005年度版

前田青邨

「祝日」1942年

前田青邨(まえだせいそん)は、岐阜県中津川市生まれ。
安田靫彦、小林古径と共に日本美術院の第二世代を担う。高松塚古墳壁画模写、法隆寺金堂壁画復元模写を監修した。
「祝日(いわいび)」は、古画に着想を得ているが、画面構成や配色、絵具を滲ませる技法など現代的な作品となっている。



岐阜県美術館

出典:名古屋市美術館コレクション選

中村正義

「男女」1963年

中村正義は、愛知県豊橋市生まれ。
1961年日展を脱退、1963年に個展「男と女」を開催しそれに出品。
従来の日本画の枠を超えた、アクリルで原色を駆使した作品。強く直接の叫びが伝わり強烈な印象を受ける。





名古屋市美術館

出典:名古屋市美術館コレクション選

三岸節子

「雷がくる」1979年

三岸節子は、愛知県尾西市生まれ。
1968年に渡仏。南仏カーニュ、ブルゴーニュのヴェロンで過ごす。
この「雷がくる」は、白い壁と赤い屋根の家々が立ち並ぶ南仏の丘を描いた。
70歳を過ぎてからの作品とは思えないほどの若々しさ、荒々しさを感じる作品。







名古屋市美術館

出典:名古屋市美術館コレクション選

荻須高徳

「洗濯場」

荻須高徳(おぎすたかのり)は、愛知県稲沢市生まれ。
生涯の半世紀をパリで暮らす。パリの街角を描きつづけ、彼が敬愛した佐伯祐三やユトリロとも画風とは異なり、あくまでも街そのものを描き出そうとした。









名古屋市美術館

出典:「高松市美術館所蔵図録・Ⅱ」

猪熊源一郎

「CITY PLANNING」1965年

猪熊弦一郎は、高松市中新町生まれ。
東京美術学校西洋画科に入学。
1936年に、小磯良平らと新制作派教会を結成。1938年に渡仏、マチスの助言を受ける。
1955年ニューヨークに移住し、抽象表現主義的作風を確立した。



高松市美術館

出典:「高松市美術館所蔵図録・Ⅱ」

明石朴景

「春秋麗日」1979年

明石朴景(アカシボッケイ)は、高松市新通町生まれ。
1929年、香川県立工芸学校で磯井如真のもとに漆工技法を収める。
東京美術学校図案科を卒業。
この「春秋麗日」をはじめ、色鮮やかな漆工作品がみられる。


高松市美術館

出典:「福島県立美術館名品選 ポケット・ミュージアム」

斎藤清

「会津の冬」1982年

斎藤清は、福島県会津坂下町生まれ。
幼い頃、一家で北海道に移住した彼は、30歳の時に26年ぶりに会津に帰郷。
その後何度も会津を訪れ、会津の雪深い冬の情景を1970年より「会津の冬シリーズ」として115点にもおよび描いた。

      



福島県立美術館

出典:「福島県立美術館名品選 ポケット・ミュージアム」

吉井忠

「麦の穂を持つ女」1941年

吉井忠は、福島市生まれ。
シュルレアリスム運動に傾倒した吉井は、独自の画風を作り上げ、人間の生きる力を強いリアリズムで表現した。
この「麦の穂を持つ女」は、彼の妻をモデルに書いたもの。


福島県立美術館

出典:「福島県立美術館名品選 ポケット・ミュージアム」

鎌田正蔵

「小家族」1981年

鎌田正蔵(かまだまさぞう)は島根県松江市出身で、福島県郡山市で過ごす。
東京美術学校油画科を卒業。
杉全直(すぎまたただし)らと「貌(ぼう)」を結成し、シュルレアリスムに傾倒。
1960年代ごろからは有機的かつ幾何学的な爽やかなアクリル色彩絵具で表現するようになった。
      



福島県立美術館

出典:「福島県立美術館名品選 ポケット・ミュージアム」

橋本章

「武将する都市」1979年

橋本章は三重県四日市市出身、福島県伊達市に。
二等兵として中国北東部、満州の大連に。戦後、福島県伊達を中心に前衛美術のグループを率いた。



福島県立美術館

出典:「福島県立美術館名品選 ポケット・ミュージアム」

渡部菊二

「勤労の娘たち」1940年

渡部菊二は、福島市会津若松市生まれ。
1940年に仲間と水彩連盟を結成し、モダニズムの水彩制作活動を展開した。



福島県立美術館

出典:新潟県立近代美術館図録

土田麦僊

「舞妓林泉」1924年

土田麦僊(ツチダバクセン)は、新潟県佐渡市生まれ。
1904年に竹内栖鳳に弟子入り。ルノワール、ゴーギャンの傾倒し、伝統的な日本画に西洋絵画の重厚感、合理的な空間、幾何学的な構図など新たな絵画の創造を目指した。
※「舞妓林泉」は東京国立近代美術館所蔵


新潟県立近代美術館

出典:図録「信州ゆかりの天才アーティスト―長野県信濃美術館名品展―」

西郷孤月

「白雲紅葉」1897年

西郷孤月は、長野県松本市生まれ。
東京美術学校で、橋本雅邦に師事。菱田春草、横山大観と共に日本美術院創立に参画した。




長野県立美術館

出典:図録「信州ゆかりの天才アーティスト―長野県信濃美術館名品展―」 

白鳥映雪

「浄粧」1948年

白鳥映雪は、長野県小諸市生まれ。
伊東深水に師事、日展を中心に活躍。94年日本芸術院賞受賞、97年に日本芸術院会員に就任。
鏑木清方、伊東深水という美人画の系譜に位置付けられる映雪。
この「浄粧」は戦後の復興期を逞しく生きる女性を感じさせる。

長野県立美術館

出典:「信州ゆかりの天才アーティスト―長野県信濃美術館名品展―」

梅原龍三郎

「浅間山」1957年

梅原龍三郎は、京都市生まれ。
伊藤快彦、浅井忠に師事。1903年に渡仏し、ルノアールに師事。52年に文化勲章を受賞。
軽井沢に家を借り、53年には山荘を建て、晩年まで浅間山を描きづけた。

長野県立美術館

出典:図録「信州ゆかりの天才アーティスト―長野県信濃美術館名品展―」

丸山晩霞

「初夏の志賀高原」1909年

丸山晩霞は、長野県東御市生まれ。
本多錦吉郎に師事し、1900年に渡米。
全米各地で水彩画の個展を開催。一貫して水彩画の風景画を描き続けた。
この「初夏の志賀高原」は、志賀高原の「天狗の湯」より眺望した坊寺山を描いたもの。

長野県立美術館

出典:図録

小山敬三

「暮れゆく浅間」1968年

小山敬三は、長野県小諸市生まれ。
藤島武二に師事。1920年渡仏、シャルル・ゲランに師事。
60年日本芸術院会員、75年文化勲章受賞。
浅間山は日本に数少ない油彩画のモチーフで、この作品は夕暮れ時の浅間山を描いたもの。


長野県立美術館

出典:図録「信州ゆかりの天才アーティスト―長野県信濃美術館名品展―」

中村直人

「暁の浅間」1973年

中村直人(ナカムラナオンド)は、長野県上田市生まれ。
彫刻家の吉田白嶺に師事、彫刻家として活躍。
戦後渡仏し、グワッシュを用いた水彩画に転向。


長野県立美術館

出典:図録「TAD 富山県美術館」

前田常作

「人間誕生No.5」1963年

前田常作(マエダジョウサク)は、富山県入善市生まれ。
武蔵野美術大学西洋画科を卒業。1957年渡欧、70年代インド、ネパール、中国で独自の宇宙観や信仰に基づくマンダラ図を展開する。
この「人間誕生No.5」は長女の誕生をきっかけに描かれたシリーズで、記号化された形象は東洋的な間を感じさせ、生命の光を感じさせる。



富山県美術館

出典:図録「TAD 富山県美術館」

郷倉千靭

「庭と仔犬」1953年

郷倉千靭(ゴウクラセンジン)は、富山県小杉町生まれ。
東京美術学校日本画科を卒業。
1932年に帝国美術学校教授、36年には多摩美術学校教授となる。
60年日本芸術院賞受賞。写実を基盤とした花鳥画や、仏教を題材にした作品多数。

富山県美術館

出典:新潟県立近代美術館コレクションVol.2「古径・麦僊・操―新潟出身の日本画家―」

小林古径

「飛鴨」1930年

小林古径は、新潟県上越市生まれ。
この「飛鴨」は、第2回聖徳太子奉賛美術展に出品されました。
鴨の美しく飛ぶ姿とともに、背景には薄墨で表現されたうねる水面がみられ、荒々しさも感じられる作品です。

新潟県立近代美術館

出典:長野県立美術館図録

松井康成

練上玻璃光大壺「輪廻転生」

松井康成は、長野県佐久市の出身です。

長野県立美術館

出典:新潟県立近代美術館図録

土田麦僊

「清暑」

土田麦僊は、新潟県佐渡の出身です。

新潟県立近代美術館

出典:新潟県立近代美術館コレクションVol.2「古径・麦僊・操―新潟出身の日本画家―」

横山 操

「高速4号線」1964年

横山操は、新潟県西蒲原郡吉田町生まれ。
敗戦後、シベリアに約4年半抑留されるという過酷な体験をする。
戦後の西洋的な風潮に対し、日本画の確固たる存在基盤を追求し、独自の世界を探求した。

新潟県立近代美術館

出典:「新潟県立近代美術館コレクションVol.7「佐藤哲三―人と作品」

佐藤哲三

「郵便脚夫宮下君」1931年

佐藤哲三は、新潟県長岡市生まれ。
蒲原平野に生きた郷土の画家で、生涯蒲原の地に留まって制作を続けた。
この「郵便脚夫宮下君」は、モデルを務めた友人宮下氏への思い溢れる作品。背景の三分割など独自の表現となっている。

新潟県立近代美術館

出典:群馬県立近代美術館図録

鶴岡政男

「夜の群像」

鶴岡政男は、群馬県高崎市の生まれです。

群馬県立近代美術館

出典:図録「青森県立美術館所蔵名品選」

奈良美智

「So far apart」1996年

奈良美智は、青森県弘前市生まれ。
愛知県立芸術大学大学院を卒業し、ドイツの国立デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。




青森県立美術館

出典:図録「青森県立美術館所蔵名品選」

斎藤義重

「あほんだらめ」1948年

斎藤義重は、青森県弘前市生まれ。 
1960年にグッケンハイム国際展最優秀賞を受賞。61年にサンパウロ・ビエンナーレ外国部門最優秀画家賞受賞など、海外での評価も高まっていった。





青森県立美術館

出典:図録「青森県立美術館所蔵名品選」

寺山修司

「天井棧敷定期会員募集」1967年

寺山修司は、青森県弘前市生まれ。
1967年に「演劇実験室 天井棧敷」を旗揚げ、日本のアヴァンギャルド芸術を牽引した。
「天井棧敷定期会員募集」のポスターデザインは、横尾忠則。




青森県立美術館

出典:図録「青森県立美術館所蔵名品選」

工藤哲巳

「貴方の肖像」1964年

工藤哲巳は、青森県五所川原出身です。
高校時代には、小磯良平の個人指導を受ける。東京芸術大学を卒業。
サンパウロ・ビエンナーレ特別賞を受賞するなど海外において高い評価を得る。



青森県立美術館

出典:図録「青森県立美術館所蔵名品選」

棟方志功

「青森山之神図」1974年

棟方志功は、青森県青森市生まれ。
1956年にヴェネチア・ビエンナーレにおいて国際版画大賞受賞。1970年に文化勲章を受賞。
「青森山之神図」は、妖艶な女神が流麗な墨の濃淡で描かれている墨画である。




青森県立美術館

出典:図録「山形美術館 絵画コレクション60選」

根上富治

「ネックレスを持つ少女」1949年

根上富治(ネアガリトミジ)は、酒田市生まれ。
東京美術学校日本画科に入学し、結城素明に師事する。
在学中に帝展に入選、翌年には特選となる。日本画院を興し同人となった。
名前の縁起の良さから、株屋筋から注文が殺到したという逸話も残る。



山形美術館

出典:図録「山形美術館 絵画コレクション60選」

土田文雄

「画室」1950年

土田文雄は、山形県米沢市出身です。
川端画学校にて藤島武二に学ぶ。武蔵野美術大学の教授を経て、渡仏。

山形美術館

出典:山梨県立美術館図録

名取春仙

「二世中村鴈治郎、紙屋治兵衛」

名取春仙は、山梨県南アルプス市生まれです。

山梨県立美術館

出典:群馬県立近代美術館図録

福沢一郎

「敗戦群像」

福沢一郎は、群馬県富岡市出身です。
福沢は、日本にシュルレアリスムを紹介した第一人者と言われています。

群馬県立近代美術館

出典:群馬県立近代美術館図録

高橋常雄

「故山春雪」

高橋常雄は、群馬県前橋市出身です。

群馬県立近代美術館

出典:群馬県立近代美術館図録

大澤雅休

「黒岳黒谿」

大澤雅休は、群馬県高崎市の出身です。

群馬県立近代美術館

出典:「コレクション再発見 東北の作家たち 洋画/版画」展図録

宮城輝夫

「陣営」1965年

宮城輝夫は、白石市出身。宮城四郎は兄。
川端画学校で熊岡義彦、その後川口軌外に学ぶ。1959年第3回シェル美術展で受賞し注目を浴びる。
仙台で53年エスプリ・ヌーボーを結成し、前衛美術運動の牽引役となった。

宮城県立美術館

出典:「コレクション再発見 東北の作家たち 洋画/版画」展図録

宮城輝夫

「踊り子」

宮城輝夫は、宮城四郎の弟で宮城県白石市出身です。

宮城県立美術館

出典:「コレクション再発見 東北の作家たち 洋画/版画」展図録

宮城四郎

「風景」1937年

宮城四郎は、宮城県白石市出身の画家。
弘前高校に進むも病気のため退学、療養しながら絵を描く。
阿部次郎の美学講義を受ける。33歳で病死。

宮城県立美術館

出典:宮城県立美術館図録

松本竣介

「婦人像」

宮城県立美術館

出典:宮城県立美術館図録

吉井 忠

「女」

吉井 忠は、福島県陣場町出身の作家です。

宮城県立美術館

出典:宮城県立美術館図録

阿部金剛

「リアンA」

阿部金剛は、岩手県盛岡市出身の作家です。

宮城県立美術館

出典:宮城県立美術館図録

広幡 憲

「39×Q E」

広幡 憲は、秋田県仙北郡中仙町(現:大仙市)出身の作家です。

宮城県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

船越桂

「冬の会話」1998年

船越桂は、岩手県盛岡市生まれ。父は船越保武。
東京造形大学を卒業、東京藝術大学院美術研究科彫刻専攻を修了。
1995年に中原悌二郎賞、1997年に平櫛田中賞を受賞。
楠を素材とし、具像の人物像で遠くを見つめる瞳は船越作品の大きな魅力。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

船越保武

「ダミアン神父」1975年

船越保武は、岩手県一戸町生まれ。
ダミアン神父は、ハンセン病患者が収容されているハワイのモロカイ島に宣教師として赴いた実在の人物。
1885年に自ら病者となり神の言葉を伝えた。保武は、ダミアン神父の人間愛に心打たれ作品にした。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

船越保武

「原の城」1971年

船越保武は、岩手県一戸町生まれ。
「原の城」は、島原の乱の兵士を描いた作品。
廃城になっていた原の城に立て篭もった2万7千の一揆軍。幕府軍に敗れ、全員殺害された農民一揆の兵士の姿を表現した。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

熊谷登久平

「霜の朝」1936年

熊谷登久平は、岩手県千厩町生まれ。
川端画学校で絵画を学び、一関中学校時代からの友人矢野文雄(詩人・日本画家)の紹介で長谷川利行(洋画家)と親交。独立美術協会会員。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

佐々木精治郎

「裸婦」1929年

佐々木精治郎は、岩手県水沢市生まれ。
ロサンジェルス美術学校に学ぶ。ニューヨークのナショナル・アカデミー・オヴ・デザインを卒業。
パリに拠点を置く。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

松本竣介

「Y市の橋」1942年

中学時代、船越保武と同級生であった竣介。
船越保武は、竣介と一緒に横浜に来たこともなかったのに<Y氏の橋>を何べんも観ている中に、想像が現実のようになったのだろうか、と後に語っている。(船越保武『巨岩と花びら』)

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

松本竣介

「黒い花」1940年

松本峻介は、東京渋谷区生まれ。父親の仕事のために岩手県に移り、幼少期を花巻市と盛岡市で過ごす。
「黒い花」は、この頃に描いた風景によく登場する女性像が描かれている。
岩手で育ち、東京で生活した竣介は、田園風景も都会の風景も同じように愛した。
都会に立つ女性にひっそりと添えられた黒い花は、自然の象徴のように感じられる。

岩手県立美術館

出典:「宇都宮美術館収蔵作品選」

ラウル・デュフィ

「ピエール・ガイスマール氏の肖像」

宇都宮美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

松本竣介

「序説」1939年

松本俊介は、東京都渋谷区生まれ。
父親の仕事のために岩手県に移住し、花巻市と盛岡市で過ごす。
1943年、麻生三郎、靉光らと「新人画会」を結成。自由美術家協会に加入する。
「序説」は、筆を握る俊介、禎子夫人、息子を象徴する白い花が描かれている。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

萬鐡五郎

「男」1925年

萬鐵五郎の「男」は、萬の長年のモチーフである男の裸体像であり、「もたれて立つ人」に続くキュビスムの大作。

岩手県立美術館

出典:図録「岩手県立美術館所蔵作品選」

萬鐡五郎

「赤い目の自画像」1912-13年

萬鐵五郎(ヨロズテツゴロウ)は、岩手県東和町生まれ。
東京美術学校西洋学科を卒業。キュビスムの研究に没頭し、1917年に二科展にキュビズム的な作品を出品し、注目を集める。画友とともに、1923年には円鳥会を結成。

岩手県立美術館

出典:「宇都宮美術館収蔵作品選」

サンドロ・キア

「ハートをいだく片翼の天使」

サンドロ・キアは、イタリア・フィレンツェ出身の彫刻家。

宇都宮美術館

出典:「宇都宮美術館収蔵作品選」

バリー・フラナガン

「ホスピタリティ」

バリー・フラナガンは、イギリスのノース・ウェールズ出身の彫刻家。

宇都宮美術館

出典:「宇都宮美術館収蔵作品選」

クレス・オルデンバーグ

「中身に支えられたチューブ」

宇都宮美術館

出典:宇都宮美術館図録

アルフォンス・マリア・ミュシャ

「ジョブ」

宇都宮美術館

出典:宇都宮美術館図録

アンリ・マティス

「ダンス」

宇都宮美術館

出典:茨城県近代美術館所蔵作品選(ポケットブック版)

小川芋銭

「水魅戯」1923年

小川芋銭(おがわうせん)は、茨城県牛久市で幼少期を過ごした。
初期の頃には、新聞で挿絵や漫画を描く。
その後日本画に転じ、1917年にが横山大観の推挙で日本美術院同人になる。
若い頃から河童を多く描いてきた芋銭は「河童の芋銭」の異名をとる。
この作品「水魅戯(すいみたわむる)」にも、水辺にすむ怪しい生き物が描かれている。

茨城県近代美術館

出典:茨城県近代美術館所蔵作品選(ポケットブック版)

小川芋銭

「祭魚」1932年

この「祭魚」にも、小川芋銭らしいユーモラスな水辺の生き物が描かれている。

茨城県近代美術館